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パシュミナとはなんでしょうか?歴史の流れから考える
パシュミナという名前はとても有名です。
しかしパシュミナの定義は?!どのようなものをパシュミナというの?と質問されれば、質問に困る方は数多くいます。
なぜなら世界でパシュミナの定義は非常に曖昧なものになっているからです。
それはこの日本だけではありません。
世界でも同様です。
しかしこのパシュミナは、世界のみならず、この日本においても非常に愛され、必要とされている製品です。
しかも昨今ではこのパシュミナ/カシミヤはストール、ショールのみならず、ニットなどにも広がっており、多くのパシュミナ/カシミヤファンの心を捕らえています。
しかもパシュミナ/カシミヤは非常に高級な素材です。
このように非常に高価な自然素材であり、世界で愛され続けている自然素材の定義が曖昧な状態なのです。
それだけではありません。
パシュミナとカシミヤに関する異説、伝説があまたあり、何が本当の情報で何が間違った情報なのかも分からなくなっているのです。
本当にパシュミナ/カシミヤとは不思議な素材です。
ですからこのコンテンツでは、カシミールの友人にきき、そしてわたし自身もさまざまな文献やカシミールのパシュミナに関する論文などを紐解いた結果、人類の歴史から捕らえた、パシュミナとはどういうものなのか、なぜカシミヤという名がついたのかを特集していきたいと思います。
できるだけ正確な情報を記載しようと思っていますが、中には間違った情報があるかもしれません。
情報も仕入れ次第更新していく予定です。
ぜひカシミヤ/パシュミナを愛する皆さんの参考になれば幸いです。
パシュミナの混乱の始まり
パシュミナとはなんですか
まずはパシュミナとはなんでしょうか。
パシュミナとはショールやストールに対して使われる、その自然素材やその繊維などを指してカシミヤ又はパシュミナといわれています。
カシミヤ又はパシュミナという自然素材はとても薄く、軽く、柔らかいにも関わらず、とても暖かいというのが特徴です。
このパシュミナという名称は人気海外ドラマで取り上げられたことで世間でも認知が広まりました。
そして今では国内外のスターやセレブなどが数多くパシュミナを着用しているのが多々目撃されています。
特にパシュミナストールは、欧米文化の根付いている地域にて昔から現在に至るまで非常に好まれている製品です。
しかし本来の意味でいうパシュミナとは、「カシミヤ」という言葉が生まれる遥か前から、インドのカシミール地方のラダックで採れたパシュミナ山羊(capra hircus goat)の原毛の毛を使い、カシミール地方で作られていた伝統的な毛織物のことをパシュミナと言っていました。
つまりパシュミナとは、古代よりインドのカシミール地方で使われていたパシュミナ山羊(capra hircus goat)の原毛を使って作った商品のことをパシュミナと呼んでいました。
そのようなカシミール地方のパシュミナに関する古い記録は、紀元1Cのローマ帝国の記録に現れ、その後確かな記録としてはインドの15-16世紀の歴史に表れています。
このパシュミナは古代のインドにとって一大産業でした。
彼らの土地(カシミール地方のラダック)にしかいないパシュミナ山羊の原毛を採り、それを糸にして、手織りで織って繊維とするこの商品は、非常に軽くしかも暖かく、肌触りも心地よいため、ヨーロッパの人々を始めとし、多くの人の心を捕らえました。
※カシミールのパシュミナ山羊の特殊性に関しては、なぜカシミールのパシュミナは、世界最高品質って言われるの? 品質面から考えるをお読みください。
ちなみに最初のパシュミナは、インドのカシミールにしかない優れた織物である、カニ織と呼ばれる織物だったといわれています。
パシュミナ 変化の刻(とき)
それまでインド一大産業であったパシュミナは、多くの人に好まれてはいましたが、今のように世界的に知られているという訳ではありませんでした。
しかしそのパシュミナに変化が生じ始めたのは、そのパシュミナの産地インドが外国の手により征服されてからのことです。
現在でいうインドのカシミール地方は、それまでも仏教勢力やイスラム教勢力など絶えず外国勢力に蝕まれてきました。
その都度カシミールはそれに纏わる文化を吸収し、カシミール独自の文化を形成していきましたが、それが外に向いて出ていく時がやってきたのです。
当時パシュミナは、ムガール帝国がカシミールを支配している頃よりヨーロッパに輸出されている織物でしたが、それは少量でした。
その当時のパシュミナのほとんどは、王侯貴族のものであり外交での贈り物で用いられるような商品だったのです。
その一例としてエジプト王への贈答品として送られていたパシュミナがエジプトに遠征したナポレオンに贈られ、ナポレオンからその妻ジョセフィーヌにパシュミナがお土産として贈られることになったのです。
その結果パシュミナがヨーロッパの社交界に知られるところとなり、その妻ジョセフィーヌによってパシュミナが急速に広まり、カシミールのパシュミナに変化の刻(とき)が生じたのです。
さらにパシュミナの普及に拍車をかけた出来事が、インドが東インド会社によって支配され、実質イギリスの植民地となった時代、つまり1700年代後半のことです。
この東インド会社によるインドの支配によって、非常に多くのパシュミナが、さらにヨーロッパに渡っていくことになり、貴重な製品であったパシュミナは、特権階級以外の人たちに広まっていくようになっていったのです。
先ほど書いたように、その当時ヨーロッパ社交界、ヨーロッパの特権階級において高い評価が定まっていたパシュミナですが、それ以降ヨーロッパの一般の人々にも広がって行くようになり、その非常に薄く軽く暖かく、想像を絶するほどの素晴らしい風合いを誇るパシュミナは、たちまちのうちにヨーロッパ中にて大流行し、「カシミールのパシュミナ」が「カシミヤ」と呼ばれるようになったと言われています。
その後イギリスから北米へと伝えられたのは、歴史が伝える流れの通りです。
それは現代の歴史が表す通り、カシミヤ/パシュミナにとって仇にもなったのです。
その当時のカシミヤ/パシュミナはカシミールにて手織りで作られていました。
刺繍も例外ではありません。
しかしあまりにも人気が有り過ぎカシミールのカシミヤ/パシュミナがヨーロッパの需要に対して供給が追い付いていかないので、カシミヤ/パシュミナが高額になるのは必然でした。
その時代、ヨーロッパには産業革命が訪れ、その波は毛織物産業にも訪れようとしていました。
その当時ヨーロッパでは人気のカシミヤ/パシュミナを作ろうと多くの人が骨折っていました。
カシミールから職人を多数呼んだり、今でいうカシミヤ山羊を連れて帰ったりしましたが、それが実を結ぶことはなかったのです。
しかし機械でカシミヤ/パシュミナを作ろうとする努力は実を結びました。
特にイギリスでは女王により毛織物産業が推奨され、数多くのカシミヤ/パシュミナが機械で作られるようになり、そのカシミヤ/パシュミナの主なデザインがイギリスの都市の名前、ペイズリーという名で知られるようになるほど隆盛を極めたのです。
ちなみに、この事実は未だにカシミヤ/パシュミナの本場がヨーロッパであることの基礎となっています。
日本ではまだまだカシミヤ/パシュミナに対する評価が定まっていないところがありますが、ヨーロッパではセレブから一般の人々まで、現代に至るまで広く、カシミヤ/パシュミナ ストール又はショールを愛用しているのです。
これによりカシミヤは隆盛を極めていきますが、パシュミナの混乱は始まりました。
本来パシュミナであった製品がヨーロッパではカシミヤと呼ばれるようになり世界で認知されていきました。
それによってパシュミナの概念はとても曖昧に捉えられるようになったのです。
カシミールのパシュミナとは、本当のカシミヤ?!
これらの経緯から、本物のカシミヤとは何かを理解できるかと思います。
前述したようにカシミヤの産地、カシミールではラダックのカシミヤ山羊の毛を使い、手紡ぎでカシミヤ糸にし、そのカシミヤ山羊の糸を使って作った手織りのカシミヤ織物をパシュミナと呼んでいます。
そして手ではなく機械で織ったのものはマシーンパシュミナ( MP)と呼んで明確に分けています。
その機械織りの製品には、ウールやシルク混の糸を使ったものも、他のカシミヤ糸の産地であるモンゴルのカシミヤ糸を使い、カシミヤ100%の製品を機械で作ってもいます。
ちなみに当店ではパシュン(Pashm)がそれです。
それら機械で作られた製品をカシミールではマシーンパシュミナ( MP)と呼んでいます。
ちなみにカシミールに行ったときに、友人に「ラダックで採れたカシミヤ山羊の毛は機械で織れないのか?」と聞きました。
彼は「織れない。なぜならラダックのカシミヤ山羊の毛は細すぎる。だから切れてしまう。機械には耐えられない」と言いました。
確かに手織りで織っている最中も、カシミヤ糸を強くする特殊加工をしているはずの縦糸が切れて、その都度手で繋げているのをよく見かけました。
その様子を考えると、その通りだと思います。
話題は戻りますが、もちろん機械織りにはメリットが数多くあります。
手織りの価格の大半は人件費です。
パシュミナ山羊の原毛の価格も高価ですが、それよりカシミールでは糸に紡ぐのも染めるのも、縦糸をセッティングするのも、織るのも人間です。
機械ではありません。
ですからカシミールのカシミヤ糸には「番手」という概念がありません。
しかし機械で織れば人件費が飛躍的に少なくなりますので、価格も安くなります。
高価だったカシミヤ製品も飛躍的に安く手に入ることになりました。
でもその弊害として、手織りのパシュミナ製品は少なくなっていき、カシミールにおいてさえ、その手織り職人だけでは食べていけなくなり、その技術を身に着けるのも時間がかかることから、そのパシュミナ産業も衰退しつつあるのです。
またヨーロッパ社交界を魅了し、席捲したカシミールの手織りのパシュミナの魅力を知る人も少なくなっているのです。
勿論、パシュミナ後進国であるこの日本ではほとんど知られていないという現状があります。
その中でもこのパシュミナという名前にプライドを持ち、これら伝統の技術を受け継ぎ、子々孫々にそれを伝え、このカシミールのパシュミナ産業を復興させようとしている人たちはカシミールには数多くいます。
わたしたちGreatArtisan(グレートアーティザン)はその中の一つの会社と取引をしています。
そして彼らに言わせるとパシュミナはカシミヤ山羊の毛を糸にして織った製品なので、カシミヤでできていますが、パシュミナ=カシミヤではありません。
彼らはショール/ストールとして最高級の製品はパシュミナであり、機械で作っているカシミヤ製品は二番目であると言います。
多分、カシミールの彼らなりの主張を何も考えずに受け入れた人々が、パシュミナ山羊というカシミヤ山羊とは違う最高級のパシュミナ糸の原毛を算出する特殊な山羊がいるという神話を生み出し、しまいにはパシュンという小さな山羊がいてパシュミナは、その小さな山羊の毛を使うという幻まで作りだしたのかもしれません。
ちなみにインドのニューデリーにも私の友人の事務所(友人の従弟がやっています。)があり、カシミールに行く前に寄り、ついでにパシュミナショップといわれるニューデリーのお店を案内してもらいましたが、パシュミナがどこででも売られています。
しかし、パシュミナの希少性と仕入れ価格の高さから本物の手織りのパシュミナを取り扱っている店はごく僅かでした。
インドではストールというサイズより、体などに巻いて使うので当店ではいうショールというサイズ(100cm×200cm)がメインなのですが、そのパシュミナショールの専門店でも取り扱っている製品の多くがマシーンパシュミナ( MP)というもので、手織りのパシュミナは数枚しか置いていないというケースが多々あります。
パシュミナの本場、インドでもこのような状態なので、その他の土地では推して知るべしということかもしれません。
パシュミナとは何ですか? 歴史の流れから考える まとめ
このように考えると、現在のカシミヤ/パシュミナの現状がもどかしくなります。
カシミールの人々にとってみればパシュミナこそ本物のストールです。
しかしヨーロッパの人々からみたら、カシミヤこそ本物のストールなのでしょうか。
そしてパシュミナは・・・非常に曖昧な、何か本物で何が偽物なのか。。その区別のつかないものに成り下がっているのかもしれません。
ではこの日本では・・・・パシュミナに関する曖昧なものといえるかもしれません。
パシュミナに関する誤解などが渦巻いており、誰もが自分なりのパシュミナを主張しています。
また手織りのカシミールのパシュミナの魅力を知っている人は少数です。
この日本でもパシュミナに関する真実が知られるようになったら嬉しいです。
GreatArtisan(グレートアーティザン)の製品ブランドにはPashmina(パシュミナ)という名がついています。
その商品をご紹介いたします。
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TAMANI◇手織り ハンドメイド◇カシミヤ/パシュミナ100%|ストール|チェック(クーフィーヤ)|グリーン/ブラック
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TAMANI◇手織り ハンドメイド◇カシミヤ/パシュミナ100%|ストール|チェック(クーフィーヤ)|ネイチャー/ブラック
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スンダル◇手織り ハンドメイド◇カシミヤ/パシュミナ100%|ストール | ダイヤモンド織 | 無地 | ブラック(黒)
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