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カシミールのカシミヤ/パシュミナとの一期一会

カシミールのカシミヤ/パシュミナとの一期一会

Contents

一期一会とは

一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来する日本のことわざです。
元は千利休の言葉とされます。
利休は自著を残していませんが、弟子の山上宗二は著書『山上宗二記』の中の「茶湯者覚悟十躰」に、
利休の言葉として「路地ヘ入ルヨリ出ヅルマデ、一期ニ一度ノ会ノヤウニ、亭主ヲ敬ヒ畏(かしこまる)ベシ」という一文を残しています。

利休が述べたこの「一期」はもと仏教語であり、人が生まれてから死ぬまでの間、すなわち生きとし生けるものの一生を意味します。

つまり茶人の千利休は、弟子である 山上宗二に、「人・物すべては一生に一度しか会えないと思え」と伝え、人間が一生に一度会える、もしくは一生に一度しか会えない事を前提に、亭主・客ともに互いに誠意を尽くすようにという心構えを教えたのです。

現在この一期一会という言葉は、茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。」という意味で使われています。

そして今では、それが発展し「一生に一度だけの機会そのもの」を指す語としても用いられているのです。

カシミヤ/パシュミナ

カシミヤ/パシュミナと一期一会

カシミヤ/パシュミナと一期一会というとあまり関係がないように思えますが、「カシミール」のカシミヤ/パシュミナというと大いに関係があるんです。

一期一会の精神には、「一生に一度だけの機会そのもの」という考え方があります。
つまり製品でいえば、同じものには二度と遭遇できないという意味にも読み換えることができます。

このように考えると、ますます関係ないように思えますよね。
なぜなら現代は大量消費時代!
多くの商品を素早くコストをかけず制作して、余り(ロス)をできるだけ少なくして大量に売る!
そして新たなものを企画・制作し、販売する!
金太郎飴のようにどこから見ても同じデザイン、同じ商品がちまたにあふれる時代だからです。
そんな時代だからこそ、皆さんも電車や町で、自分と同じ服を着ている人に出会った!という経験を数多くしているのではないでしょうか。
カシミヤ製品も同じ大量生産・大量販売の時代の申し子だからです。

手織り

しかしそんな時代にあっても、カシミールのカシミヤ/パシュミナはちょっと違います。
カシミールのカシミヤ/パシュミナは大量生産ができない手織りで織られています。
しかも左の写真のように、糸のセッティングも人間がやります。
それだけではありません。
糸を紡ぐのも人間の手で行われるのです。
※カシミールのカシミヤ/パシュミナの手織りの全ての工程は手織り カシミヤ/パシュミナをご覧ください。

それがどう関係するって?!
そう思いますよね。

全行程ハンドメイドということは、同じ製品は一枚もないということなんです。

更なる一期一会

刺繍

カシミールのカシミヤ/パシュミナはそれだけではありません。
左の写真のように手刺繍のストール・ショールもございます。

手刺繍なので大まかなデザインは一緒ですが、そこかしこに刺繍する縫い手の個性、技術は出ます。
ですから機械で縫っているように、全く同じ柄デザインはありません。

カシミールのカシミヤ/パシュミナは、まさに一度そのカシミヤ/パシュミナのデザインに出会ったら、もう二度と出会えないデザインばかりなんです。

※一期一会のブランドトラディショナル パシュミナをご覧ください。

まとめ – カシミールのカシミヤ/パシュミナと一期一会 –

カシミールのカシミヤ/パシュミナと一期一会・・・

まさに両方とも「一生に一度だけの機会そのもの」なのかもしれません。

カシミールのカシミヤ/パシュミナは、ハンドメイドゆえに同じ製品はございません。

同じデザインであったとしても、機械のようにすべてが均一ではなく、どこかが違います。

まさに一品モノ!
一度に見逃す決意をしたら、二度と同じデザインには出会うことができません。

わたしたちもこんな一期一会を楽しむのはいかがでしょうか。

ぜひ一期一会のカシミヤ/パシュミナをお楽しみいただければ幸いです。

わたくしたちが扱っているカシミールのカシミヤ/パシュミナは、一期一会のカシミヤ/パシュミナです。

一度素通りしたら、もう二度と会うことは叶いません・・・・

カシミールのカシミヤ/パシュミナを以下にご紹介します。

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