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カシミールとペイズリー その歴史とカシミヤ/パシュミナ

カシミールとペイズリー その歴史とカシミヤ/パシュミナ

日本人の目からいうと松かさのようなデザインであり、カーブした羽のような形の模様。
日本では勾玉(まがたま)模様とも言われるものとはなんでしょうか。

そうです。
ペイズリーというデザインです。
この日本でも周期的に流行っており、ネクタイの柄に入っている方も多いのではないでしょうか。

このようにペイーズリーは未だに人気のある柄です。
イギリスの有名なサッカーチームのユニホームにもペーズリー柄が採用されていたように、
ペイズリー柄の人気は日本だけではありません。

このコンテンツでは、そのペイズリー柄について特集します。

Contents

カシミールとペイズリーの関係

ペイズリーというデザインの名前は、誰しも1回は聞いたことがあると思います。
海外でペイズリー柄は、1970年代以来現代のファッションの定番でしたし、この日本でもペイズリー柄が流行したことがあります。
うるおぼえになりますが、バブルの頃も流行したような記憶があるようなないような・・・
いずれにしても、ペイズリーは世界では有名なデザインのうちの一つです。

しかし、そのペイズリーという英語圏からきたようなデザインの名称が、実はカシミールに古くからあるデザインからきていると知っている人は、アパレル関係者以外では少ないのかもしれません。
(アパレル関係者の方はご存じな方は多いと思います。)

今回はそのペイズリー柄とカシミヤ/パシュミナとの関係についても特集していきます。

ペイズリーとはなんでしょうか?

カシミヤ/パシュミナ ペイズリー

ペイズリーとは数ある繊維の中の一つのデザインのことであり、勾玉形に先端が屈曲した植物文様のことです。
ペイズリー柄はカシミール文様とも呼ばれています。
ペイズリーの特徴とは、曲線と草花をモチーフとした柄となっており、優美な曲線、草花を元にしたモチーフが繰り返されており、
それが多くの人を惹きつける魅力ともなっています。

ペイズリーはインドのカシミール地方のパシュミナのショールやストールに使われている伝統のモチーフとして有名です。

この日本では、ペイズリーは時に「勾玉(まがたま)模様」、その模様は「ドロップ」(しずく、涙)とも呼ばれています。
松かさを模った、カーブした羽のような形の模様のことです。

現代では、このペイズリー柄はネクタイやスカーフ、ドレス等からインテリアまで幅広く使用される柄となっており、ペルシア起源と言われ、その後インドで発展していったと言われています。

このように自然豊かなカシミールに生まれたパシュミナには草花の文様が多く、特にこのカシミール紋様の柄の一つペイズリーは、 “涙のしずく”のようなモチーフが特徴的です。

これはメソポタミア地方では、別名「生命の樹」とも呼ばれるナツメヤシの種子を表現したもので、カシミールの人々とってはとても大切なものだといいます。
なぜならば、ペイズリー柄の特長でもあり種子のような形はまた、繁殖力を表すと考えられているからです。

そしてそのペイズリー柄はそもそもヒンズー教との関係があるとも考えられており、そして有名な陰陽のシンボルに類似性を持っています。
ですからペイズリーはイランなどの南アジア地域、そして中央アジアの国々で非常に人気のあるモチーフとなっています。

ペイズリー柄の起源とは?

このペイズリーの起源ははっきりとせず、諸説存在いたします。

例えばヨーロッパではネブカドネザル2世の時代の新バビロニア王国でナツメヤシをモチーフとしたペイズリーの原形が使用されており、ナツメヤシが原型だとされています。
その後そのナツメヤシ、アカンサスの葉、パルメットの葉といった生命の木をモチーフとする装飾はアッシリア、バビロニアの時代を経てヘレニズム世界で完成され、アレキサンダー大王の時代、そのギリシア人たちが東方の地を植民地化していく中でヘレニズム文化が西アジアにもたらされ、ペイズリー柄も広まったとヨーロッパでは考えられています。

また一部の学者の中では、ペイズリー柄は「ボテ(Boteh)」と呼ばれており、ペルシャ語でブッシュまたは低木を意味します。
このボテ(Boteh)デザインは、古代ペルシャなど中近東の文化で発達し、ヒノキの木または生命の木から生命力を表すようになったと考えられています。

そしてこのペイズリーというボテ(Boteh)、つまりカシミール刺繍の中の一つのその精巧なデザイン模様は、その当時の王国、ムガール帝国の男性の貴族によって好まれ発達していったとも考えられているのです。

いずれにしてもこのペイズリー柄は南アジアが起源となっており、彼らの文化の中では重要な働きをしている模様であるということです。

ペイズリー柄が注目されるようになったきっかけとは

カシミヤ/パシュミナ ペイズリー

それにもかかわらず、そのようなペイズリー柄は19世紀の初めまで人気を得ませんでした。
正確にいうとペルシャ文化の影響を受けた地域では非常に人気のあるメジャーなデザインでしたが、世界レベルではという意味です。

その世界の意識に変化が生じるようになっていったのは、1800年頃、19世紀の始め頃の事です。

それに先立つ、1798年エジプト遠征のお土産に、皇帝ナポレオン1世が、妻のジョセ・フィーヌに持ち帰ったものとして有名なパシュミナ(現在のカシミヤ)は、絹よりもしなやかで、 非常に柔らかく暖かいその織物の虜になり、その当時のヨーロッパ社交界に広まっていったのです。

人間の好みや嗜好は時代を超えます。
現在でも多くの人々を魅了して止まないこの優れた織物でありカシミヤ/パシュミナは、最高品質の製品に慣れているはずのヨーロッパ社交界の人々の心をとらえて離しませんでした。

このカシミール製カシミヤ/パシュミナの人気の高まりは、大きなカシミヤウール製のショールが今よりも暖房設備が整っていないその当時の婦人たちの通常アウターとして着用される1840年から1870年にかけて需要がピークに達しました。

このような最高級のショールである、カシミヤ/パシュミナはインドから来たもので、パリやロンドンから輸入されたものでしたが、本格的なそのカシミヤ/パシュミナショールを完成させるには最長2-3年かかり、価格は数千ドル、例えると高級車一台分もかかったため、需要は一部の王侯貴族などのためのものであったのです。

その頃イギリスは18世紀中頃からインド植民地支配を推し進め、1857年のインド大反乱を武力で鎮圧してほぼインドにてイギリス統治の体制を完成させていました。
そしてその後インドの東インド会社によってインドを統治していたイギリスには、その名産物であるパシュミナ(現在のカシミヤ)の柔らかく模様のあるカシミールのカシミヤ/パシュミナはインドからイギリスに輸入され始めたのです。
そしてやがてペイズリーは東から西へと伝播し、王室や貴族への贈答品として送られるショールのモチーフとなっていきました。

カシミヤ/パシュミナのペイズリー刺繍の変化のとき

ペイズリー カシミヤ/パシュミナ

このカシミールの名産物のパシュミナ(現在のカシミヤ)に変化が生じ始めたのはそれからです。
今も同じことが生じています。人間は同じことを繰り返すことを歴史は証しています。

そもそもヨーロッパ社交界に最初の頃流通したのは、刺繍ではなく、柄そのものを手織りで織ったカシミヤ/パシュミナでした。
それは「カニ織」といいます。

しかしカシミヤ/パシュミナの需要も多くなっていったため、その声にこたえる必要もあり、プレーン(無地)で織ったカシミヤ/パシュミナに織物で実現していたような柄を刺繍を施し、その需要に応える努力を行い始めました。

その努力のかいもあり、価格も下がり流通量も増えていったのですが、それでも拡大するヨーロッパでのカシミヤ/パシュミナの需要に応えることができず、ヨーロッパでのカシミール製のカシミヤ/パシュミナは非常に高価なものだったのです。

このカシミヤ・ショールを何とかして、一般市民の手に届くものにできないか。
それがその変化のそもそもの始まりでした。

カシミールのカシミヤ/パシュミナは手織りでした。
その手織りの織物を機械で実現できないかという努力が始まったのです。
つまり、手織りではなく機械織りによる変化です。

ペイズリーというデザイン名の登場

この機械織りのカシミヤ・ショールに初めて成功したのが、スコットランドの中心部、グラスゴーの近くにある、ペイズリーの町だったのです。これは1820年頃のことといわれています。
ペイズリーの町は18世紀初頭までに、手織機用リネンの製造センターで発展した町です。
その町に東インド会社を通してインドに兵役に行っていた兵士を通して、カシミールのカシミヤ/パシュミナを手に入れたと言われています。
ですからイギリスのペイズリーという町は、カシミールのカシミヤ/パシュミナを織るにも適していたのでしょう。
彼らはその当時のカシミヤ/パシュミナの10分の1の価格でそれらを販売したそうです。

この機械織りカシミヤ/パシュミナ ショールによって、このペイズリーという町は大いに栄えたのです。
ちなみに1850年から1860年頃のピーク時、ペイズリーの町では6,000人の織物職人がいたと言われています。
そしてヴィクトリア女王がこのペイズリーで作られた機械織りのショールを愛用したこともあり、ペイズリーでつくったこのショールが徐々に知られていくようになりました。

時代とともにこのショールは流行し、さらに世界で広く使われるようになります。
ペイズリーでカシミールのカシミヤ/パシュミナをモチーフとしたこのデザインは、ショールだけではなく、ストールやスカーフ、テーブルクロスなどの素材にも広く用いるようになり、ペイズリーは徐々に柄の名称となっていくのです。

まとめ – カシミールとペイズリー

ペイズリー

そして現代の状況となります。
本来カシミールのカシミヤ/パシュミナショールに織られており、カシミール刺繍のソズニ刺繍の中の一つのデザインであった柄は、スコットランドのペイズリーという町で模倣され、ヨーロッパ社会で広く普及したため、ペイズリーという名称となって知られるようになったのです。

これはカシミヤという名称と同じ経緯をたどっています。

カシミヤは本来、カシミールではパシュミナという名称で呼ばれていました。
しかしヨーロッパにて広く普及すると共に、カシミールの織物という意味でカシミヤと呼ばれるようになり、今ではカシミヤという名の方が広く世界で知られています。

その経緯につきましては、当社コンテンツ今さら聞けない パシュミナとは何ですか? 歴史の流れから考えるをお読みください。

これからことを考えると、カシミールの人々が自分たちのパシュミナこそ、本物のパシュミナであり、カシミヤはそれに次ぐものであると考えるのは尤もなことに思えます。

それは日本で言うと、柔道のようなものかもしれません。
日本で生まれ世界に広がり、日本にはないルールなどが付け加えられ、古来よりの日本の柔道(柔術)を愛する人たちは、本家のプライドゆえに「柔道(柔術)の本道は日本にあり」と言います。
しかし世界の人たちから見ると、柔道はすでに世界に広がり、現在世界で受け入れられているのが柔道だと考えます。
どちらも正解であり、どちらも不正解なのではないでしょうか。

こんな状況にあったとしても、柔道の生家、この日本を訪ねてきて勉強し、心惹かれる世界の人々は現存しています。
同じように、カシミヤ/パシュミナの生家、カシミールのカシミヤ/パシュミナを求めて、勉強し、心惹かれる世界の人々は現存するのです。

Great Artisa(グレートアーティザン)はそのような素晴らしいカシミール産のカシミヤ/パシュミナを取り扱っています。
ぜひご覧ください。

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#カシミヤ #パシュミナ の #刺繍ボーダーストール これは #ソズニ という #カシミール刺繍 の技法の中の1つ #meemdoor を #カシミヤストール に施したストールです。 #ボーダー刺繍 とも言います。 よく見ると、途中、ストールの横糸の色が変わっているのが分かりますよ。 great-artisan.jp ではインド刺繍を特集した記事がアップされています。 発売開始しました! #meemdoor #ボーダー #ストール #pashmina #カシミヤコーデ #ストールコーデ #パシュミナコーデ #刺繍コーデ #刺繍 #greatartisan #カシミアコーデ #手刺繍

カシミヤ/パシュミナと天然石のお店 木の葉 SHOPさん(@cashmere.gemstone_shop.konoha)がシェアした投稿 –

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